COLLABORATION 01

Casper Sejersen

環境の変化にあらがうことなく、
内側から立ち現れる美を大切に。

D.W.M.のブランドイメージとシーズンアートワークを手がけたフォトグラファーのカスパー・サヤルセン。
折り目正しくアイロンがけをした麻のシャツに、首にはネッカチーフを巻き、撮影スタジオの強烈なライトから目を護るためなのだろうか、薄い色の入ったサングラスを掛けた面持ち。どこかシュールで、不穏な雰囲気さえ漂う作品とは異なり、ゆったりとした体の運びで話しをする。そんな彼のクリエイションへの姿勢を探った。

Valuing the beauty that emerges
from within regardless of
the environment surrounding you.

数多くのファッションメゾンのコマーシャル撮影をされています。ファッションをどのように見せたいと思って撮影しているのですか?

完結したファッションの姿ではなく、見る人それぞれに捉え方を委ねる多義性をはらんだ表現を追求しています。ブランドの持つ世界観によりますが、高級ブランドの衣服を荒っぽい身体の運びで撮影したり、ブランドがおおよそ置かれないようなセッティングで撮影することで、モノに対する一様ではない見方を引き出したい。主役はモデルではなく、服やバッグ、シューズ。それらの思いもよらない姿を、写真を通して見る人に見つけてもらいたいと思っています。

ファッションの撮影の時はファッションアイテムが主役です。一方で今回の撮影では主役となるモノは存在しなくて、花を撮影しています。このアイデアはどのように生まれたのでしょうか?

主役となるモノが写っていない。モノが見えなくてもその存在を感じることを意識しました。持っていることを見せることで、持ち主のアイデンティティを表すファッションやバッグと異なり、美容はひとりでこっそりとする習慣だと思います。できるなら、隠してしまっておきたい存在かもしれません。美とは何なのか?どこから来て、どのように醸し出されるのだろうか?そのようなことを考えるうちに、自己修復し、内側から美を作る花の姿を通して、美の本質を表現しようと考えました。カメラのシャッターを押す、撮るという行為自体は、最終的に形となって現れる写真の中の小さな要素かもしれません。むしろ、照明の当て方や写真の構図を頭の中でシミュレーションして周到に準備しておくことが私にとって大切です。最初のカットを思い描いたとおりのものにしたら、そこからは状況を受け入れる気持ちでいます。それは私たちの日々の暮らしでも言えることではないでしょうか?朝、目覚め、鏡の前で自分なりに自信のある面持ちで、一日をスタートしたとします。しかし、日中、紫外線を浴び、大気にさらされるなか、肌の状態は変わっていきます。一日という短い時間の中でも、顔、身体の筋肉、そして表情はすべて移ろうものです。それは人が絶えず動いている細胞の集合体である証しであり、抗うことではないと思うのです。私が写真を撮るときも同じスタンスで臨んでいます。しかし、起こりうるあらゆる状況を考えて準備を周到にします。そうして自分の中に様々なプランを抱えておけば、天候の急変などの予期せぬ変化が起きても、すぐに別の手を打ち、状況をリセットすることが可能です。

時にバイオレントで、不穏な雰囲気が漂う写真もあります。こうした写真はどのような意図から生まれるのですか?

はっきりとしたストーリーを作るのではなく、解釈を曖昧にする抽象性を意識しています。私は写真にしても、アートにしても、初めて目にしたときと、何度も見返したときと、その都度、見え方の変わる作品が好きです。たとえば私の写真の中に、女性の首に赤い血のようなマークが残った写真があります。一見すると暴力を振るわれた女性の姿のように思えるかもしれません。しかし、実際は恋人が愛情の印に残したキスマークかもしれません。女性の指から血が出ている写真があります。ドキッとするかもしれませんが、親しい人へしたためた手紙に封をしようとしたときに紙の先で指を切ってしまったというシチュエーションも考えられます。これらは暴力による傷ではなく、暮らしの痕跡です。アートを観る時もそうなのですが、私自身、宙ぶらりんでアンビバレントな表現を追求したいと思っています。バイオレントという捉え方については、私は生まれつきの平和主義者で、暴力は断じて受け入れられません。しかし、“暴力性”には引かれるものがあります。それは力がぶつかり合うことで生まれる爆発的なエネルギーに美を感じるからです。1920年代、デンマークの詩人が謳った詩に、無法者2人が争い合うシーンを謳ったものがあります。飛び散る血を薔薇の花びらが散るようになぞらえた詩で、読んでいると鮮やかな色や光景が目に浮かんでくる美しい表現です。多くの格闘シーンが登場する映画「七人の侍」にもそうした美学があるのではないでしょうか?

物語がはっきりしない抽象性のためなのか、カスパーさんの写真を退屈だと感じる人はいませんか?

退屈という表現がぴったりくるかは分かりませんが、することがない状況にいることは好きです。子どもの頃、夏休みになるといつも暇を持て余していました。私が子どもの頃は、インターネットといった世の中を覗くことのできるツールは暮らしの中になかったのですから。初めは学校に行かなくていいなんて天国とウキウキしていましたが、夏休みも後半になると、友達とも会えないし、退屈が過ぎてうんざりしていました。でも、することがないので毎日ひたすらに窓から空をボーっと眺めていると、雲が飛行機や恐竜の姿に見えてきて、自分だけ得した気分になったのです。周りのノイズがない虚無の状態にあったから、創造力が働いたのかもしれません。当時は退屈と思っていましたが、思い返せば、何もしない状況は希少だと感じています。現代において、何もしないことは最大のラグジュアリーなのではないでしょうか?現代人は「退屈は悪」のように、常に情報を詰め込み、常に何かが起きている状況を作っていると思います。私自身もその傾向がありますが、写真の中では何も起きていないような世界を作りたいと思っています。見る人にとってはそれをつまらないと感じるかもしれませんね。でも、ほとんどのことをインターネットが答えてくれる今の社会で、わけが分からない、その答えは自分次第というものはとても貴重だと思いませんか?

カスパーさんにとって美とは?

取り繕うことなく、内側からおのずと立ち現れる姿であり、ジェスチャーです。ファッション写真やポートレイトを撮影することがありますが、指示したポーズを取る手前のわずか0.1秒に被写体が見せる表情に美を感じます。それは被写体が指示されたポーズについて自分なりに考え、カメラを前にシャッターが押されるという瞬間に見せる本人も気づかない不意の表情です。アメリカのファッションフォトグラファー、リチャード・アヴェドンや日本の荒木経惟さんの写真のように、完璧な写真に向かう手前の未完成な表情を捉えたものに心動かされます。

“NINE PORTRAITS” ©️Casper Sejersen

Casper Sejersen

デンマークを拠点にする写真家。
ケイト・モスやハリー・スタイルズを始めとした文化人のポートレイトや、「PURPLE」「AnOther」「GQ」などのエディトリアル、アーティスティックな表現でファッションフォトのジャンルにとどまらないような写真を「ルイ ヴィトン」、「ドリス ヴァン ノッテン」などのファッションメゾン向けに手がける。不完全な完璧さを感じさせる写真は多くの人を引きつける。

聞き手・文・長谷川香苗
写真・Elizabeth Heltoft