COLLABORATION 03
Ruth van Beek #1
素肌はその人の内面を映す鏡のようなものだと思うんです。気持ちが高揚している人の肌は赤らみてきますし、血の気が引くような体験をしている人の肌は真っ青になっているかもしれません。また、顔色が悪いという表現があるように体の症状は素肌の色を変えますよね。その人が生命を持っている証が素肌の色となっていると思うと、誰かと会うときも、一人ひとり異なる肌をまじまじと見てしまいます。
古来、絵画を見ても画家が皮膚の描写に腐心してきたことが分かります。静止している絵の中の人物を血の通った人間に見せるのは肌の描写です。また、人の肌だけでなく、果物の描写の上でも皮は重要です。果物の皮の描き方によってその果物が熟しているのか、まだ青い果実なのかを絵を観る人は判断できるのですから。
古い写真をコラージュしたアート作品になります。長いこと、写真の粒子である肌理を気にしながら古い雑誌や本の切り抜きを集めていますが、近寄って見ると光沢があったり、年月を経た古い写真にはシミがついていたり、と人間の肌と同様に時とともに様々な肌理を感じます。
物としての手鏡に引かれているんです。手鏡は道具ですよね。覗き込むと自分の顔が映されます。つまり、自分の顔、肌を外に取り出す道具です。そうした興味から手鏡をいくつも集めていました。今回、D.W.M.のヴィジュアルアートでは、はじめからブックレットの形で収録されることが決まっていたので、ひとつのモチーフを反復させ、バリエーションを作ることでブックレットを作ることを考えました。手鏡を使って家族の肖像画のようにいくつもの“顔”を作るようなイメージです。
ストックしてきた古い写真の数々を手鏡のシルエットに切り取っています。手鏡というピクチャーフレームを通してカーテンの襞の写真を捉えると、額を覆う髪のようにカーテンを見立てることができます。ミモザの花房の写真を、フェイスラインを覆う髪に見立てたり、2つの花房の写真を額の目のように見立てたものもあります。このように手鏡という枠を通して古い写真の中にいくつもの“顔”を探していきました。そうして手鏡の形に収まった顔を写真スタジオのようにカラフルな背景紙の前に立てて、ポートレイトにしたものが作品となっています。
私は生来のカラリストです。そもそも、肌色という特定できる色はなく、肌の色は人ごとに異なりますし、D.W.M.のスキンケアアイテムにしても多くの植物の恵みが凝縮されていると思います。そうした点で作品とD.W.M.のイメージはつながっているのではないでしょうか?
ボトルのデザインはシンプルですが、キャップを開けて肌に塗ると香りの複雑さに酔いしれます。自然界の得も言われぬほど豊かで、しかし押し付けがましくない、控え目な香りがとても好きで、愛用しています。ヨーロッパでは今のところ手に入らないので使い終わってしまったらどうしようと心配しています(笑)。
オランダ北部の街、クーク・アン・デ・ザーンを拠点にするアーティスト。1950年代~70年代の雑誌や書籍の切り抜きをストックし、それらの思いがけないアレンジメントによって写真を再構築する。風変りなコラージュ作品は日本のこけしや生け花を題材にすることもあるという。
http://www.ruthvanbeek.com
https://www.instagram.com/ruth_van_beek/
写真・Koen Hauser